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ナポレオンは存在せしか? [本/雑誌/文筆家]

悲しいことに言葉を使えば使うほど真実を捉えらづらくなる。
科学(理性)を語る言葉と、感情(狂気)を語る言葉に同じモノを使っているからだ。

英語のHistoryとStoryは語源が同じだ。フランス語のHistoireはその両者の意味を兼ねている。そこに、歴史は語られることで意味を持つとする近代西欧の、人間理性に対する過剰なまでの信頼と奢りが感じられるのはぼくだけだろうか。私たちが客観的な科学的記述と信じている歴史は、実は何者かによって語られたものの寄せ集めだ。大正4年、東京帝国大学文科大学教授の南亭箕作元八博士が著した『西洋史話』(東亜堂刊)の中には、「ナポレオン抹殺論(ナポレオン史伝はギリシヤ神話の改作也)」という掌編が収められていたという。ぼくは底本に当たったわけではないので、こんなあやふやな書き方になってしまう。恩師の松田修教授が自著「複眼の視座」の中で、この「ナポレオン抹殺論」について触れている。この論文は『西洋史話』の序文によるとフランス人のペレーが書いた「ナポレオンは存在せしか?」という書物に拠ったことになっている。乱暴な書き方をすると、言葉を重ねると、ナポレオンは存在しないことになるのだ。

以下「複眼の視座」より抜粋して転載(一部改行を変更、傍点は省略)。

擬人化の太陽

 吾人は劈頭に喝破す、従来幾千百の人をして幾千百の言議を費やさしめたる仏国皇帝ナポレオン・ボナパルトは、決して現世に実在せし人にあらず。「ナポレオン」とは一個抽象的な名辞なり。

ペレーは、ナポレオンを「太陽の擬人化として作出されたる架空の人物」といいきる。では、その証拠は何か。彼はまずナポレオンについて語られている「伝説」群の要約と、古代ギリシアの「太陽伝説」とを比較し、前者が後者に出典を有することを逐一「証明」しようとする。

 伝説に曰く、彼の名は、ナポレオン・ボナパルトなり。彼は地中海の一島に生まれたり。彼の母の名はレチチヤといへり。彼の同胞は三人の妹と四人の兄弟なりき。而して兄弟の内三人は、王位に登れり。彼は二人の妻を有し、その一人は一人の男子を生みき。彼は大革命を剿滅せり。彼は十六人の将軍を有せり。その中十二人は現役にありき。彼は南方に克ちて北方に敗れたり。彼は東方より起こりて、十二年の統御の後に跡を西海に晦ませり。

まず、名前からいこう。ペレーはいう、アポロン、アポレオンの「意味又は起源」を探れば、「両者は全く同一」である。アポロン、アポレオンの意味は「剿滅者」であり、ギリシア詩人は「太陽の光線を燃える矢」としてイメージした。しかし、ApoleonとNapoleonの綴字上の差異は、どう説明すればよいのか。曰く、ナポレオンの真の名は。ヴァンドームの記念柱上に明記されたところでは、Neapoleonであり、Ne 又は Naiとは「真」の意、つまりナポレオンとは、「真の剿滅者」「真のアポロン」である。ナポレオンイコールアポロンでなくて、何であろうか。ボナパルトとはBona(善)parte(部分)、すなわち「善き部分」、それは「世」の光明赫奕の側であり、昼明である。すなわちMala parte「悪しき部分」、暗黒に対するもので、太陽の他ならない。

アポロンはデロス島に生まれ、ナポレオンはコルシカ島に生まれる。ギリシア本土とデロスの関係は、あたかもフランス本土とコルシカの如く、大陸に対する東方の島ということで共通する。

ナポレオンの母の名レチチヤは喜びの意味、アポロンの母の名はレトー Leto、同じく喜びの意味である。ローマ人はレトーをラトナ Latonaと訛る。近接した時代のローマ人でさえこの転訛があるのだから、はるか下って十九世紀人が、レトーをレチチヤと訛ることに不思議はない。

アポロンもナポレオンも四人兄弟であり、アポロンのそれは、四季の象徴である。彼の四兄弟のうち三人までは王になり、花の王、収穫の王、果実の王で、それぞれ春夏秋を表わすが、冬のみは王ではない。ナポレオンについていえば、末弟のみ王ではなく、カノニ侯であるに止まった。カノニはカテスで老人の白髪すなわち雪=冬の象徴ではないか。

またアポロンには月と大地に二人妻があるように、ナポレオンにも二人妻がある。エジプト神話によれば太陽オシリスは月に子なく大地イシスに男子ホールスをえたというが、まさにナポレオンは月ジョセフィンに子なく、大地マリー・ルイズによって太子(二世)をえた。太子の生誕は伝説によれば三月二十日、すなわち春分、太陽によって五穀の実る時である。

アポロンの第一の功業は、大蛇ピトンを剿滅したことであるが、ナポレオンの功業は、同様大革命を剿滅したことにあり、当時は大革命をヒドラ・蛇にたとえていたという。そもそも革命RevolutionとはRevolutus 回転の義(天体運動を含意する)を語源としているではないか。

ナポレオンは十六人の将軍を持ち、うち四人は現役につかなかった。現役十二人は、天の十二宮にして、太陽ナポレオンを中心にして軌道を運り、星群を指揮する。聖書には星を「天の軍勢」といっているではないか。他の四将軍は、動かぬところから東西南北の方位に当たる。

ナポレオンの南方における常勝、北方における敗北も、太陽の属性から説明されるだろう。彼は東方フランスの海中より出て、十二年間「世界」を支配し、十二年の後、西海に沈んだ。この十二年間は、まさに太陽が軌道をめぐる十二時間を意味する……。

右は必ずしも正確な要約ではないが、結論は次の如くである。

 従来人々が多く口に言ひ筆に記し来れる大皇帝ナポレオン・ボナパルトその人は、嘗て世に存在せるものにあらず。世の無学低能なる人々のみ、たゞ(横書きでゞは使わないと思いますが、底本通りに記述します。以下同)此の十九世紀の新神話を以て正史と誤解するの愚を為す。若し夫れ我神聖なる言語学の奥義を極め雲煙の間に一蛟龍(底本の活字、蛟はつくりの交のなべぶたの点がない)を認め、暗黒々裡に犂牛を捕ふる底の頭脳を以つて。之れを考証判断せんか、忽ちにして、その真相は瞭然として日月と一般なるべし。

博士はいう、その著『礼拝の起源(オリジン・ド・キュルト)』において、デビュイが、「基督は太陽の抽象なり」ということを、言語学上より論証したのに対して、駁撃を加えるためにペレーはこの『ナポレオンは存在せしか?』を書いたと。

正面攻撃は避けられ、デビュイの用いた論法を全くそのまま適用すれば、ナポレオンその人とその自蹟さえも抹殺されてしまうではないかという、論争としては搦手からの、しかし、再反撃のしようのない、完璧な反証であった。

曰く、「最新の言語学研究」によれば「ナポレオンてふ人物は嘗てこの世に存在せし事なく、たゞこれ詩人の空想に作り上げられたる一個の烏有先生に過ぎざること」が、「全く明らか」になった。「それに就けても、世にありもせぬ人物を捉へて、真面目腐つて論じ立てる、吾が朝野諸名士の無識低能なるには、一層呆れざるを得さるなり」と、博士も幾分悪のり気味ではあるが、これにはさらに裏の裏があり、『西洋史話』本編には、箕作博士による「仏国大革命時代の虐殺の話」「ナポレオン一世の失敗の原因」等の論考がれいれいしく収載されていて、博士自身が「無識低能なる」「朝野諸名士」のまさにそのもっともいちじるしい一人であることを、明示しており、知的諧謔の一つの極限といっていよいだろう。

以上、転載終わり。


言葉は歴史を簡単に書き換える。感情は真実を変質させる。
言葉を重ねれば重ねるほど、語られれば語られるほど真実が遠くなるような気分になることがある。卑近な例だとワイドショーでコメンテーターがしたり顔で語るほどに真実が遠ざかる。「そうじゃない」と叫んでも、一方通行の言葉はどうしようもない。こうして言葉は軽くなり、ぼくたちは不感症になる。一つの風景を2人が眺めたとき、その風景はそれぞれで違うはずだ。同じ景色を見ている人は一人もいないのに、それがテレビカメラに収まると「みんなの視点」になってしまう。あれは撮影している一個人の視点なのに、客観的な目になってしまうのだ。そして私たちはテレビの画面に現れる映像を客観的真実だと思う。他者の視点を思う想像力も次第に奪われていく。テレビの映像、それは真実ではない。いや、真実かもしれないけど、あなたが感じる真実とは違う。真実は自分の中にしかないのに、記憶は記憶で嘘を吐こうとする。ぼくが家でテレビを観なくなって4年になる。だから動くリア・ディゾンも見たことがない。不自由もあるが、それ以上の自由があると信じたい。

松田修先生は2004年の早春に亡くなられた。ぼくは最近までそのことを知らなかった。先生は20年以上前からパーキンソン氏病と闘っておられたのだ。先生はまだ体が動くうちに伝えたいことは山ほどあったと思うのだが、教わる学生がバカで不真面目だった。無駄な若さで申し訳ないと今にして思う。実は松田先生の圧倒的な教養を前にして、何をやっても無駄な徒労感を感じていた。今も昔も自分の自信や尊厳が欠落しているのだ。引っ越しの手伝いをした時に本を何冊かいただいたのだが、どこでどうなったものか、恥ずかしいことに一冊も手元に残っていない。誰かに貸して戻ってこなかったのだろうか。ぼくも出来の悪い学生だったけど、卒業してからは先生の著書をたくさん読んで、いろいろな影響を受けている。なぜ学生時代にそれができなかったのだろう。松田修の南総里見八犬伝の口語訳を読みたかった。

複眼の視座―日本近世史の虚と実

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  • 作者: 松田 修
  • 出版社/メーカー: 角川書店
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松田修著作集 (第6巻)

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箕作元八滞欧「箙梅日記」

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