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水と光と空気さえあれば [美術/音楽/映画]

ボタニストにしてアーティスト、パトリック・ブラン Patrick Blancの記事を少し前にVOGUE NIPPONに書きました。



地上に建築を建てるということは、緑が茂る大地を、植物から奪うことである。そこで近代建築家たちは屋上庭園という方法で、植物から奪った大地を返してあげようと考えた。しかし、その努力も虚しく、都市から緑は失われていく。多くの建築家が今、植物学者で現代美術作家でもあるパトリック・ブランが手掛ける“垂直庭園”に注目するのは、私たちが暮らす都市には、緑が必要だと痛感しているからだ。建築家だけではない。インテリアデザイナーもファッションデザイナーも……。

「幼少より植物が好きで、母と森を散歩するとコケやシダに興味津々の子供でした。ある時、水族館の大きな水槽に植物が生い茂る様子を見て、土がなくても、水と光があれば植物が育つことに驚いたことが、今の私の制作活動につながっていると言えるでしょう」と子供時代を振り返るパトリック。その驚きを新たにしたのは、大学で自然科学を学んでいた時のこと。19歳で彼は初めて東南アジアの熱帯雨林を訪れ、滝の岩の裂け目に、露になった木の根の上に、土がなくても植物が元気に育っている光景を目の当たりにする。帰国後、パトリックは土を使わない植物の生育の研究に熱中し、それが今日の垂直庭園の技術の基礎となっているのだ。

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「文学の触覚」。言葉を使うすべての人に [美術/音楽/映画]

「Dear」という雑誌に寄稿しました。「Dear」は先月で休刊です。


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文学や美術ファンだけでなく、言葉を使うすべての人に

「人類最古の詩的創造は、言葉の創造であった。新しく生を享けた言葉は生気にあふれ、イメージ豊かであったにもかかわらず、いまでは言葉は滅び、言語はさながら墓場と化している……」。

1923年冬、レニングラードの芸術キャバレー野良犬で朗読された、若き言語学者の論文「言葉の復活」は、後にロシア・フォルマリストのマニフェストとなる。私たちが便利に使う言葉は、かつてはそのモノを活き活きと描き出す絵画や音楽のような“表現”だった。それが記号化し、道具になり、言葉の芸術的な輝きは忘れ去られてしまう。美しい言葉は使い古され、辞書には、口にするのも恥ずかしい言葉が溢れている。

誤解を恐れずに言えば、文学とは、何万もの手垢にまみれた“言葉”を駆使して、言葉の輝きを再び獲得することだ。無限の音色を使える音楽家と違い、既製の言葉しか使えない表現は、不自由さゆえに独自の発展を遂げた。それが文学だ。その“文学”は、果たして、視覚芸術やメディアアートの表現を求めているのだろうか。

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光の国へ [美術/音楽/映画]


誘拐怪人ケムール人が走り去る。2020年の人類の姿。成田亨会心の作。

六本木ヒルズで始まった「ウルトラマン大博覧会」は行くべき。
http://www.ocn.ne.jp/anime/ultra/ml

あのテレビ番組にどれほどのエネルギーが注ぎ込まれていたのか。どれだけスゴい人々が関わっていたのか。いや、ホントにスゴいんだ。今なら「世界に通じるソフトを」とか「目指せハリウッドでリメイク!」なんて“(生温い)グローバル”な目標を掲げてCGの製作現場を泣かせるのだろう。でも当時は、ただ日本の、日曜日の夜の子どもたちのために製作されて、子どもを喜ばせたり驚かせようと、少ない予算の中で爪に火を灯して製作した映像に、底知れない力が宿っていた。制作者たちは誰も見たことがないモノや世界をつくりあげて、そこに人の営みというリアリティまで与えた。日本では60年代末にデザインと美術と科学が融合していて、しかも三次元化していて、子どもたちは理想の世界観を共有していた。これこそサードカルチュア。ぼくたちの世代の原点だ。

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DongHee Kooの忘れたい夜 [美術/音楽/映画]

昨夜、韓国から来日して東京ワンダーサイト(TWS)に滞在中の作家ドンヒー DongHee Kooのトークイベントが渋谷の「kurage」というカフェであったんだけど、ホントに申し訳ないというか、日本人としてドンヒーにゴメンと謝りたい。あれはちょっとないよね。もしもこれと同じことが都立現代美術館であったらどうなってたと思う?

彼女はこのイベントで、インターネットで韓国のアートスペースと映像を結んで、韓国のアーティストに呼びかけていろんなことやる予定でさ、ホントにいろんなこと準備していたのに、なぜか「kurage」のネット回線がダウンしていて接続不能。なんとか復旧させようとスタッフは走り回っていて、その時間を使ってドンヒーのビデオ作品の上映をしていたのだが、今度は途中でプロジェクターの電源がダウン。まあ、誰のせいでもなくて、アクシデントが重なっただけで、誰かの悪意でこんなことになったわけでもない。TWSのスタッフも何とかしようと頑張っていたと思うよ。でも、ぼくはあえて言いたい。ドンヒーは大事な友人だから。彼女の日本での最初のプレゼンテーションがネットと電源がダウンという、「おい、いつの時代なんだよ。昭和か?」と言いたいような、本当に情けないアクシデントでパーになって、どうしてくれるんだよ!? 責任者は誰なんだ!? 現場で復旧に苦心していたスタッフには申し訳ないが、このイベントに呼んでいただいて参加した第三者の立場ではっきり言うと学園祭以下じゃん。作家の発表の機会を何だと思ってるんだよ。それにさ、文化交流って外交なんだよ、外交。このイベントが民間外交だという意識はあったの? 外交はマジで失敗が許されないの。反省してくれ、ホント。情けない。

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スキャンダル [美術/音楽/映画]

韓国からtokyo wonder siteに招聘されている美術映像作家ドンヒー・クーさんと久しぶりに再会し、神宮前でお寿司を食べた。彼女のプロフィールはtokyo wonder site aoyamaのサイトで紹介されている。来月はオープンスタジオの予定もある。ドンヒーは世界のどこでも自分を見失わないジャイロコンパスのような感覚と、とてもリベラルな視点を併せ持つ作家だと思う。ぼくは彼女のそんな姿勢を心から尊敬している。
http://www.tokyo-ws.org/aoyama/index.html

その食事の席の後で、ドンヒーから、韓国美術界の大スキャンダルの話を聞いた。これはみんな知っている有名な話なんだろうか。1995年から始まった韓国の現代美術展「光州ビエンナーレ」は、現在ではアジアを代表するアートイベントになっている。このビエンナーレの次のディレクターを務めるはずだった申貞娥(シン・ジョンア)という、東国大学助教授の美術評論家の醜聞だ。彼女は30代半ばで、最年少の美術監督として注目されていた。ところがその彼女の経歴の一部が“贋作”……つまり学歴詐称で、さらに彼女は政界の大物と癒着していたり、ビエンナーレのディレクターのポストを手に入れかけたのも、スキャンダラスな背景があるとか、美術界のみならず韓国の政財界の要人にまで延焼した大ニュースだったらしい。

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屋根の上の猫 [美術/音楽/映画]

ノラネコがたまに公園の花をじっと見ていることがある。花を見ているのか、花に集まる虫を見ているのか。夕暮れ時に猫背の背中をいっぱいに伸ばして枝の花を見つめている様子を見ると、このネコの前世は花が好きな人だったのではないかと思ってしまう。ふと、人間の頃の言葉にならない記憶に支配されてしまう時があるのではないか、と考えてしまう。


仲間内でいちばん臆病なネコが、今も臆病のまま公園で暮らしている。
ボブテイルの運動神経の鈍そうなノラネコ。よそ者が来ると分かりやすく虚勢をはって、鼻息も荒々しく最初に立ち向かうけど、すぐに引き下がり、何ごともなかったかのように、立ち木で爪を研ぎ始める。いつも毅然とした態度をとろうとしているようだが、まわりのネコはすべてお見通しという感じだ。だから子ネコすらまともに相手にしない。とにかく間が悪い。このネコが来ると、他のノラネコまでぎくしゃくしてくる。

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Gavriel Lipkind インタビュー [美術/音楽/映画]

静寂のオーディトリアム。ネックに頬を近づけて弦を小さく弾く。演奏家は目を閉じて何かを確かめている。調弦というより、眠る子どもの様子を窺う父のようだ。やがて目覚めた子どもの無尽蔵のエネルギーをぐっと抑え込み、ドビュッシーのソナタが暗譜で奏でられる。これがガブリエル・リプキンのリサイタルの幕開けだった。小鳥の吐息さえ表現できる繊細な高音域と、波音のように表情豊かな低音。聴衆は否応なしに、彼と彼が抱える300歳の子ども(楽器はAntonio Garani、1702年ボローニャ)がつくる、エコーの庭園に心を解き放つことになる。

ガブリエル・リプキンは“恐るべき才能”と日本に紹介され、海外の評価は高いが、日本でその才能を知る手がかりは「MINIATURES & FOLKLORE」と「バッハ無伴奏チェロ組曲」の2組のCDだけだった。もちろん、このCDだけでも彼が特別であることは分かる。その未知の才能が、ついに今年初来日し、金沢と東京でリサイタルを行った。リプキンは現在29歳。だが演奏歴はその人生の半分以上を占める。

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ガブリエル・リプキン [美術/音楽/映画]

ドイツで知り合ったチェロ奏者のガブリエル・リプキン Gavriel Lipkindが来日した。
http://blog.so-net.ne.jp/hashiba-in-stuttgart/2007-01-14

先週末に彼と東京で再開を果たし、雑誌「セブンシーズ」の厚意で、彼をインタビューする機会を得た。その内容は雑誌が発行されるまでは公表できないので、7月売りの「セブンシーズ」を見てほしい。彼は金沢と東京でソロコンサートを開き、「浜離宮朝日ホール」の東京公演はガールフレンドといっしょに聴きに行った。彼女は彼のCDジャケットを手掛けたデザイナー、カロリン・シュタインベック Carolyn Steinbeckの共通の友人でもある。ガブリエルが昨年リリースした2枚のCDは、ジャケットの仕立てがスゴく丁寧で本当に美しい。細部の細部まで神経が通った、クラフツマンシップすら感じるつくりになっている。このジャケットのデザインを手掛けたのが、ベルリン在住のグラフィックデザイナー、カロリンだ。彼女は考古学者のようなグラフィックデザイナーで、例えばバッハのチェロ組曲のデザインでは、バッハが生きた時代に使われていた書体や、バロックのグラフィック表現の意味を真摯に探ることをデザインの出発点として、その成果を現代版に翻案して形にしたものだ。書体の歴史や背景、その意味のリサーチをベースにグラフィックデザインを始めるデザイナーって、なかなかいないんじゃないかな。
http://carolynsteinbeck.de/

それはともかく、ガブリエルのコンサートだけど、その素晴らしさは一億の言葉をもってしても語り尽くせない感じだ。

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男前の殺し屋は [美術/音楽/映画]

別に「メトロに乗って」行かなくても「昭和」はうちのすぐ近所にあるからさ。



「純喫茶いこい」でナポリタン(700円)を食べる。メニューには「やさい、くだものつき」と書いているのだが、その両方が一緒に盛られているとは思わなかった。でも果物は全部フレッシュで、イチゴ、バナナ、オレンジ、グレープフルーツ、メロン、梨、リンゴ、キウイフルーツ、おまけに柿まで載っていた。これってスゴくない? それをレタスとキュウリの上に載せるんじゃなくて、別のお皿に盛り付ければ……。一方、野菜のほうはトマト、きゅうり、レタス、コーン、かいわれ菜、あと、ゆで卵もこちらに入れておくか。これを別の器にまとめてマヨネーズかドレッシングかけると、それはそれで充実の一皿なんだけど。ケチャップとウスターソースって、ぼくにとっては昭和の味だ。

鈴木清順の「殺しの烙印」を観たけど、これは傑作だね。「日活」のマークが出るところから銃声が響き、タイトルからオープニングシーンにかけてが超スタイリッシュ。

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山本圭&學 [美術/音楽/映画]

ジョギングするネコとすれ違った。

家で仕事している時は、日が暮れるとプロジェクタのスイッチを入れて約2時間の映画休憩と、それが終わって夕ご飯という規則正しいスケジュール。そして食後にまた仕事。昨日は山本薩夫監督の「白い巨塔」を観て、今日は黒澤明監督の「わが青春に悔なし」を観る。
山本薩夫監督は共産党支持者で有名で、そのためか甥の山本圭が映画に登場する時はいつも、アジビラ配っている左翼活動家役というイメージがあった。もしくは日教組(または貧乏人に優しい開業医)。もう一人の甥の山本學はとにかく医者役のイメージ。どんなドラマに出ても「この人は医者だ」と思ってしまう。養命酒のCMも医者に勧められているみたいだった。親戚同士揃って、これだけ役柄の印象が固まっている俳優っていないんじゃないの。吉岡秀隆は何を演じても吉岡秀隆で、これもはまり役といえば人生のはまり役だけど。

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