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アルミナムサイドチェアキャスター付き [デザイン/建築]

事務所のアルバイト席用の椅子に、KEVIの赤や黄色を探していたが、残念ながら見つからなかった。結局、イームズのアルミナムサイドチェアの中古品を買う。張り革は白。KEVIはアームなしがキレイだけど、アルミナムシリーズはアーム付きのほうがバランスが良いと思う。でも幅やアームの高さを考えるとテーブルへの収まりが悪そうなので、シンプルなサイドチェアにした。バーチのテーブルに意外に合っている。端から見るとこぢんまりとしているようだが、思っていたより座面が大きかった。

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銀塩フィルムとは何か [美術/音楽/映画]

JALの機内誌「SKYWARD」10月号で、映画プロデューサー・映画監督の澤野計さんにインタビューさせていただいた。澤野さんの最新作「utsuroi」の上映会と写真家の若木信吾さんとのトークセッション「インディーズの映画制作」が、10月12日に青山ブックセンターで開催される。

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銀塩写真かデジタル写真か。フィルムがなくなるかも知れないという事実に危機感を抱く写真家たちが、ゼラチンシルバーセッションというプロジェクトに参加して、いろいろなイベントを開いている。写真家の内輪で完結してしまい、写真家のエゴ丸出しで気持ち悪いところも少々あるけど、映画「utsuroi」にはそんな部分も隠すことなく記録されていると思う。語っても語っても、フィルムを残さなければならない理由には辿り着けない。逆に、写真家が語れば語るほど、核心から遠ざかっていくように感じることが不思議だ。暗室作業の意味や楽しさをいくら語っても、一般の人々はそれが銀塩フィルムを残すべき理由と納得はしづらいと思う。多くの写真家は自分の表現の道具である「フィルム」について、あまり意識することなく、水道の蛇口をひねれば水が出るごとく、何も考えずにフィルムを装填してシャッターを押し続けてきたのだろう。それはある意味当然で、問題は何で撮影するかではなく、何を撮影するか、だったと思うから。でも一人くらい、なぜフィルムなのか、フィルムとは何なのか、フィルムを使って写真でも映画でもない表現はできないか、フィルムを使わない写真はありうるのかとか、写真とフィルムの関係を疑う人がいても良かったと思うけどね。これは写真家だけの話ではないけど(印画紙だけの作品はありますね)。

この映画は銀塩フィルムをなくさないでほしいと懇願しているわけはなく、経済とか効率の優生学的な視点だけで急激に「置き換え」られていくことを、ホントにそれでいいのかとぼくらに問いかけているのだと思う。銀塩フィルムだけの問題ではない。論議される暇もなく、生産者と市場の判断だけでいきなり失われていく大切なモノはごまんとある。なくすのは仕方ないけど、なくす前に少しだけ考える時間がほしい。しかし判断のスピードが重視される企業経営や経済の世界では、それに頓着するヒマはない。考える時間をどんどん短縮させる社会と、人のフツーの感覚との隔たりを、銀塩フィルムの存亡と移り行く街の光景を通して改めて感じとることができると思う。あえて言うまでもないけど、世界は急ぎ過ぎだ。

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生活思想を考えてみた [本/雑誌/文筆家]

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大久保駅のガード下には丸太でできた電柱がまだ1本残っている。
このことを教えてくれたのは釜山出身の留学生の趙さんだった。北新宿に住んでいた頃、同じ日本語学校の就学生だった女性の紹介で知り合った。寮がぼくのアパートの近所だったので。とても穏やかな方で、東京で日本語を学んで、その後、愛知県立芸術大学の大学院に見事合格した。もともと韓国で建築を学んでいたのだ。もう15年くらい前の話。お元気だろうか。彼との出会いがぼくの初めての異文化交流だった。

週末に雑誌の仕事で小池一子さんの事務所におじゃました。小池さんのお話は真夏の畑に水を撒いたように、すーっと全身にしみ込んでいって、そのたびに鳥肌が立つようなぞくぞくする感覚が追いかけてくる。自然と背筋が伸びてきて、小池さんに教わる学生は幸せだと思った。途中、頭の中が熱くなってきて、普段はさぼっている脳が一生懸命働いている感じだ。一人旅をしている時のように、いろいろな記憶がどんどんつながっていく。例えば、今和次郎の考現学と生活学はどう結びつくのか。ぼくの中ではそれぞれが独立した考察だと勝手に思い込んでいたけど、それらが表裏一体であることに、どうして気づかなかったのだろう。小池さんの話を聞いている間に、知識の隙間のパーツがどんどん埋まっていく。そのパーツはまだ手に入れていなかったのではなくて、既に自分の中にあったのに、気がつかないまま過ごしていたのだ。編集ができていなかった。何かを学ぶ上でムダってないものだなと思う。

こういう時は概してシンクロニシティが起こるものだ。旅の途中で偶然、大切な人に出会うように、ミッシングリンクが予期せぬカタチでつながる経験は、多くの人が体験していると思う。そうだ、こんな夜は書店に行こう。渋谷で地下鉄を降りて、中野行きのバスに乗る前に、ふとそう思った。それでバス停の前にある東急プラザの紀伊国屋書店に向かった。昼食をとっていなかったので、その前に何か食べようと、最上階のレストランフロアでエレベーターを降りて、和食のお店で松花堂弁当を食べる。竹を切って拵えた飯碗の中味は松茸ご飯だった。刺身にハモの湯引きが添えられていたけど、せっかくの季節感が台なしだな。そんなことはどうでも良くて、とっとと会計を済ませて、5階の紀伊国屋書店を散策する。

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「50年住宅」を学生が提案(笑) [デザイン/建築]

「全日本学生建築コンソーシアム」という組織があるらしい。リビングデザインセンターOZONEから届いたプレスレリースの中に、全日本学生建築コンソーシアム2009住宅設計コンペ展の案内があって、それでこのコンペのことを知った。巷では100年住宅とか200年住宅とか言われていて、建築家にはそれを実現するための提案が求められている中、未来の建築家を目指そうという学生に「50年住宅」とは噴飯ものだ。身内が勝手にハードル下げてどうするんだよ。甘やかし過ぎだろ。500年住宅くらい提案させろ、とぼくは思う。いやホントにありえないよ。現役の建築家自身の甘えの投影なんじゃないかと思った。回りくどい言い訳みたいなものだ。誰がこのテーマを考えたのか知りたいね。ちなみに審査員は吉田研介、山下保博、早草睦恵の3氏の建築家だ。この人たちが決めたテーマなのだろうか。

一応、プレスレリースにはこんなことが書かれている。

(前略)昨今唱えられている100年、200年住宅は、設計者本人が実際に100年後の姿を見ることができません。そこで、実際に検証できる「50年」と設定しました。現実的に表現できるテーマこそ、これからの住宅に必要です。今評価され、50年度も評価されるなら、その後の未来も同様です。

「50年度も評価されるなら、その後の未来も同様です」という楽観の根拠は何だろう。ホントに同様なのかな。100年後の姿を見ることができないからこそ、建築家は現時点であっても、未来のその先で仕事をしなければいけないのだと思う。建築家は現在ではなくて未来をつくっているのだから。もちろん卑近な問題は山積みで、それも解決しなければならないのだが、そんなことはどの仕事でも同じで、その建築ができて寿命を全うするまでの時間と空間を、人々のためにつくり出す仕事であることを、建築を学ぶ者も自覚してほしいと思う。逆にリアルな問題に直面しなくてもいい学生だからこそ、実現不可能であっても、先の先を見据えた理想の住宅の提案をさせるべきだ。自分の中に理想の住宅があれば、社会での実際の仕事の距離感と達成感を常に実感することができ、反省し、時には自賛しながら前進できる。そう考えると、一部の建築家は大きな目標や理想を見失っているのではないかと思う。

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「生命」とは何か [デザイン/建築]

21_21 デザインサイトで昨年行われた「セカンドネイチャー」展のカタログに寄稿した文章です。

「生命」とは何か、とは、おそらく人類が言葉を使い何かを考え始めた瞬間から、人々の前に立ち現れた永遠の命題だ。「生命」については、古来より、哲学者や宗教家や医学者といった賢人たちが、それぞれの立場で語り、思惟の断片を記してきた。答えはない。それでも人々は考える。もちろん私も考えている。「生命とは何か」。ここではもう、個人的な所見を述べるしかないので、僭越ながら、およそ十年前の記憶を遡り、私個人のある経験を書いてみたいと思う。

「当機はローマ市上空を飛行中です」。
そんな機内アナウンスからしばらく経ち、私は夜間飛行のアリタリアの窓から、漆黒のティレニア海で象られた地上の銀河を眺めていた。ナポリを訪ねるのは初めてだ。危険だとか街が汚いとか、出発前に散々な評判ばかりを吹き込まれていたけれど、実際のナポリは、ゲーテやアンデルセンが讃えた通り、心を喜ばす不思議な空気が満ちていた。雑誌の仕事でナポリに来た私は、翌朝から取材を開始した。そこで確信したのは、この街では地図が役に立たないということだった。地図とは、都市を平面に投影したものに過ぎず、道や建物の形は分かるけれど、そんな影はこの街ではほとんど意味がないことに気づいたのだ。混沌の都市で、ショッピングモールの見取り図のようにいかないことは、先刻承知の上だったのに、想像以上に都市の襞は深く、自分が目指す先が何であるかすら分からない。地図に頼ろうとしていた自分が不遜だった。

ナポリの街は分からないことだらけだ。人に尋ねると人の数だけナポリの街がある。この街は現実でもあり記憶でもある。この仕事の前に、取材で面談したイタリア人デザイナーのアンドレア・ブランジ氏が、「ナポリは素晴らしい街だが、誰に会うかが重要だ」と意味深長な助言をしてくれたことを思い出していた。あちこちに時間が堆積していて、一段下るとまったく違う時代相を現し、時には複雑な歴史の断面に出くわし、私たちを惑わせた。街の質素な女性はエピクロス哲学を語り、西のインテリはプラダの品質を語っていた。そして私は、この一筋縄ではゆかない「分からなさ」が、ナポリの生命なのだと思うようになった。

当時、巷にはコミュニケーションテクノロジーという言葉が溢れ、情報技術革新は世界の人々がすぐに分かり合える理想の社会を実現すると喧伝されていた。それは本当だろうか。すぐに分かり合えることは幸せなのだろうか。私が十年前に、あの南イタリアの空の下で実感した「生命」とは、ひと言で言えば「謎」だった。いや、生命が謎なのではなく、分からないこと、分かり合えないことに生命が宿っているのだ。他人も、恋愛も、未来も、世界も、人生も、自分自身すら謎だらけで理解ができない。でも私たちはそれを分かりたいと思う。理解したいと願う。そこに命があるのではないか。謎が解けるということは、つまり、生命が尽きるということではないだろうか。理解を放棄することも生命を放棄することではないだろうか。そして私の生命が終わる瞬間には、「ああ、あれはそういうことだったのか」と、すべての謎が瞬時に氷解して彼岸へと旅立つのだろうと思う。

ナポリで感じた生命観は、今も私を動かし続けているのは間違いない。以来、私は、編集者という仕事に就きながら、混沌を整理してキレイに並び替え、分かりやすく読者に伝えようと思わなくなった。分かりやすくしてはいけない。複雑な世界を単純化せず、複雑なまま受け入れてもらうにはどうすれば良いのか。生命を損なわずどう伝えられるか。そんなことばかり考えている。複雑な環境を知るためには、自分自身が環境と同じだけ複雑にならなければならない。こんなことを言ったのはシステム工学の黎明期を生きた『サイバネティクス序説』の著者ロス・アシュビーだった。私は、誰にも訪れる死を待つ人生の今この瞬間も、生きる実感が欲しいので、生命と同じだけ複雑になりたいと願っている。

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BMWアートカー [美術/音楽/映画]

ぼくがいちばん好きなクルマは、今でもBMW2002だ。1965年に発売されたマツダファミリア1000クーペには、BMW2002の面影があってコレも好きだった。ちなみにBMWの02シリーズが発表されたのは1966年だから、ファミリアがBMW02の真似をした訳ではない。3代目カペラもどことなくBMWの雰囲気があった。

ずいぶん前になるけど、去年の春に「森アーツセンターギャラリー」で開催された、BMWの展覧会に合わせて、エスクァイア日本版に書いた原稿です。写真はこのサイトからダウンロードしました。問題があれば削除します。

「透明なスピード|BMWアートカー展」史上最速の現代美術

1886年、ドイツで世界初の自動車が発明されて約120。その歴史は自由拡大と解放に邁進した近代史にも重なる。自動車というプロダクツは単なる二点間の距離の克服という目的を超え、激動の20世紀を写す鏡として、時には過激に進化し、洗練され、夢の工業製品のフロントローにあり続けた。今や自動車は、富や知の象徴であり、ハイテクのシンボルであり、それを運転する者の自我が宿る身体の延長でもある。“ドライブ”も今では、単に“運転”を意味する単語ではない。

   

美術の概念もまた、20世紀に大きく変化したものの一つである。この時代、美術作家の一部はアトリエを離れ、都市をキャンバスに、眼差しをナイフに挑戦的な作品を制作するようになる。身近なプロダクツも作品のモチーフとなった。こうしたムーブメントの交点に、魅力的な工業製品である自動車が登場するのは時間(と費用)の問題だったと言えるだろう。最初のBMWアートカーが制作されたのは75年。オークショネアでレーサーでもあったエルヴェ・ポーランが、初参戦するル・マン24時間のため、BMW3.0CSLのカラーリングをアレクサンダー・カルダーに依頼したのがBMWアートカーの原点だ。モビール作家が制作したオートモビルの作品は、残念ながら7時間でコースアウトする。その後、アートカーの制作はBMWがイニシアチブをとるようになり、現在に至っている。

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キュウリのことなど [食事]

余裕がある朝はサンドウィッチをたくさんつくって、一食分ずつラップで包んで冷蔵庫に入れておく。朝食用だったり昼食用だったり。2日以内には食べ切りますね。仕事で手を離せないけど、お腹が空いた時はサンドウィッチはホントにありがたい(ただし自分でつくったものに限る)。PCのキーボードやマウスは超不衛生らしいので、ちゃんと手を洗わないとダメです。デスクで食事する人を気をつけましょう。

JRと地下鉄で帰る途中、サンドウィッチの材料を小田急百貨店の地下で探すと、麻布ハムのバラエティバックが700円くらいで、夕方、サンドウィッチ用の薄切りがあるのは紀伊国屋ベーカーリーしかないから、そこで一斤を350円で買う。チーズも買うと+1000円、生鮮食料品コーナーでキュウリが200円。チーズを買わなくても1000円以上は確実。デパ地下は高いね。一方、京王バスの待ち時間に渋谷東急プラザの地下で買うと、ニュークイックのボンレスハムが100g150円くらい、インショップの麻布十番モンタボーでパンを12枚切りでスライスしてもらい280円、キュウリが150円くらいで、合計600円以内で済んでしまう。百貨店の半額だ。サンドウィッチなんてそんなに上等なハムじゃなくても、それなりに美味しいから、どう考えても東急プラザの勝ちだな。近所のスーパーのオリンピックより安い。

もっと高いパンやハムもあるし、もっと安いモノもあるから、まあ、勝ち負けなんてどうでもいいことだけど、とりあえず、これが今のぼくの感覚で、金額の差はそのまま日本の市場の幅なんだと思う。消費係数は収入によって左右されるわけだが、絶対消費係数というのがあって、それはいちばん高収入だった時点で固定されてしまうという説もある。簡単に言うと、一度、良い暮らしをしてしまうと、それ以下の生活はできなくなるというわけだ。お金持ちになると、もう後戻りできない。リッチな人ほどわずかな収入低下で一気に零落する可能性が高い。小室さん家族はいろいろ大変なんだろうなと思う。

なぜ買うのか。なぜ買うのを止められないのか。客観的に見た他人の“消費”ってホントの面白い。無理矢理話をまとめるなら、何ごともほどほどがいちばんということですかね。

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ご近所の方からネギをいただく。これがシャンパーニュの袋の正しい使い方だな。

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勝新太郎 [本/雑誌/文筆家]

去年、ある会員誌に書いた書評です。

俳優勝新太郎。いや、やっぱりここでは勝新と呼ばせてもらおうかな。日本映画の巨星というか、ブラックホールというか、ともかくそんな希代の名優をカツシンと呼び捨てる不遜は承知の上で。もっとも、書き下ろし自叙伝「俺 勝新太郎 新装版」を紹介するなら、その呼び方のほうががしっくりくる。とりあえず内容を紹介してみよう。えーと……勝新はスゴい。スゴ過ぎる。説明不要。以上。これ以上は書くことはないな。

というわけにはいかないので、もう少し書いてみるけど、この本を「なんて退屈な本」と思う人っているんだろうか。いるわけないよな。勝新は幼少から芸事に親しみ、歌舞伎の科白を暗唱するような少年時代を送った。たぶん言葉が身体化していたのだろう。とにかく文章が超名調子で、こういうのを声に出して読みたい日本語って言うのだと思うよ。そんなリズムの良い文体にぐいぐい引き込まれ、ところどころに「兵隊やくざ」「悪名」「座頭市」などの名画のシーンがインサートされ、見事なカット割で勝新が見た情景が描かれていく。
最初のシーンは例のパンツ事件の逮捕の場面から。玄関で待つ玉緒の目が笑っている。
「お帰りやす。パパがこんな大物だってこと、初めて知りましたがな、今度の事件のおかげで。ほんまにたいしたもんですなぁ、パパは」。

ここでカットが変わり、シーンは昭和6年晩秋、勝新はまだ赤子だ。それから映画スター勝新に至るまで時代を追って描かれるわけだが、トイレにも立たず一気に読んで、気がつくと2時間強。長モノ映画の尺にぴったり合っている。勝新は活字で自分の映画を作ったのではないか。と思ってあとがき(あとがきじゃないよ、音書きですよ、書いてある)を読むと、「活字を映像にしたことはある。映像を活字にすることが出来るだろう。そう思って書き始めた」とあった。脇を固める俳優は、市川雷蔵、石原裕次郎、水原弘。先代の中村鴈治郎も登場する。日本映画好きならたまらないラインアップだ。演技論的な逸話もある。昭和の名監督や任侠の人々も描かれる。表現者としてのリベラルさにも共感できる。戦前の東京に息づいていた花柳街の文化と、当時の色恋沙汰も格好良すぎる。さらに、玉緒夫人があまりに可愛らしすぎる。ああ、もうすべてが面白すぎる。

あとがきには平成4年(1992年)10月と記されているから、還暦を迎える1カ月前に書き上げたことになる。そして勝新はその5年後に彼岸へと渡ってしまう。もっと本を書いてほしかった。もっと勝新の文章を読みたいと思った。吉田豪の特別寄稿はイマイチだった。

以下、Amazonのリンクのみ


Agua de Colonia [買い物/お店]

マドリッド最古のフレグランスハウス(という噂の)Alvarez GomezのAgua de Coloniaを取り寄せてみた。トップノートはレモン、ゼラニウム、ユーカリ、ミドルノートはラヴェンダー、ローズマリー、タイム、ベルガモット。レシピだけを見ると4711に似た感じなのかなと思ったけど、香りはぜんぜん違っていた。ドイツとスペインはやっぱり違うよな。予想以上に奥深い香りでした。ほかにバスソルトとウエットティシューも買ってみた。みんな同じ香り。この香り一本で商売しているんだろうか。

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昨日、取材で話を聞いた建築家の方はとても面白かった。建築はずいぶん進化したと思われがちだけど、素人目に見ると、たぶん建築の現場は100年前とそう変っていないと思う。せいぜい新しい重機や建材が開発されたり、設計ではCADとかBIMが出てきたくらいで、それは新しいモノではなくて、既存の、例えば製図板の置き換えだったりするわけで、サルからヒトには進化したとは言えないような気がする。モダニズムが理念から様式になってしまい、ついでに思考も滞りがちで、荒唐無稽でも、技術の担保がない実現不能の建築でも、未来の建築をイメージさせる建築家っていなくなったと思う。せいぜい10年先の技術を見据えて、実現可能な範囲でプレゼンテーションするくらいだ。それでいいのかな。100年前に比べて新しい技術はたくさん生まれていると思うのだが、それが建築を通して、直接、空間や感覚や暮らしの豊かさみたいなものに結びついている例が見当たらない。デバイスとして採り込まれたものはたくさんあるけど、それが100年前の空間でも今の空間でも同じように作用するなら、建築って何なんだろうと思ったりして。それは単に強度があるとか、ユニバーサルスペースとか、そういうことじゃないと思う。みんなこぢんまりとしてしまって、何やってるんだよ! と言いたい。建築を考えることは未来を考えることだと思うからだ。軌道修正や小手先の目新しさではなく、圧倒的な未来の建築を夢みたいと思うところだ。

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ネコの細道/ムナーリ [本/雑誌/文筆家]

ぼくの仕事場は昔はお寿司屋さんだったらしい。西に面して路面に大きなガラスドアがあり、細長い部屋の後ろにはキチネットと裏口のスチールドアがある。この二つのドアを開けると、日陰と植栽が建物のコンクリートを冷やした、ひんやりした風が東から西へと通り抜けて気持ちが良い。風も通るけど、ネコも通る。5種類くらい通る。急ぎ足で通り過ぎるネコもいれば、しばらく滞在するネコもいる。去勢していないオスネコはすぐにスプレーをするので大変だけど、避妊手術をしたメスネコも、5歳くらいになるとスプレーするようになる。ストレスでしちゃうみたいだ。そんなわけでネコが来ると、拭き取り用のウエットティッシュと雑巾と消臭スプレーは、常に手元に置いておかないと面倒なことになる。

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去年、数日だけ立ち寄って、また旅に出た長毛種のネコは、渡り鳥のように今年もやって来て、ぼくが仕事場に入ると一緒に部屋に入り、あとは日がな一日、テーブルの下や椅子の上でお昼寝している。たまに外に出かけることもあるけど、たぶんトイレだな。時々、気がついたように足下にやってきて、お愛想程度の挨拶をして、ゴロゴロと喉を鳴らし、また横になる。で、お腹が空くとネコ缶をひたすらねだる。スゴい食欲だ。たぶんノラネコじゃなくて捨てネコなんだろうな。他のどんなネコが来てもまったく気にする様子がない。むしろ「わが家にいらっしゃい」と目で挨拶している感じがする。家賃は払っていないけど家主なんだな。たぶん。

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クロネコもたまに遊びに来る。このネコもノラネコじゃなくて捨てネコのような気がする。とにかく異常なほどに人のそばにいたがるから。ただしあちこちにスプレーするのはホントにカンベンだ。肉球も黒くて、鍵しっぽのクロネコは福猫で、夏目漱石もクロネコは家に入れて飼っていたらしい。良いことがあるといいんですけどね。中野本町は平和だな。


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