So-net無料ブログ作成

ヴァイセンホフジードルンク/近代建築/居住権 [デザイン/建築]

モダン建築の聖地「ヴァイセンホフジードルンク Weissenhofsiedlung」見学ツアーに参加した。「ヴァイセンホフジードルンク」って何? という人はウェブサイトを見てほしい。http://weissenhof.immodulor.de/ (日本語あり)

The Weissenhofsiedlung, Experimental Housing Built for the Deutscher Werkbund, Stuttgart 1927:Exhibition Catalogue

The Weissenhofsiedlung, Experimental Housing Built for the Deutscher Werkbund, Stuttgart 1927:Exhibition Catalogue

  • 作者: Karin Kirsch
  • 出版社/メーカー: Deutsche Verlags-Anstalt GmbH
  • 発売日: 2000/12
  • メディア: ペーパーバック


Weissenhofsiedlung Stuttgart.

Weissenhofsiedlung Stuttgart.

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: IRB Verlag, Stuttgart
  • 発売日: 1997/05
  • メディア: Perfect


ぼくが「ヴァイセンホフジードルンク」の名前を初めて知ったのは1986年のこと。

大学を卒業して3年目の秋、ぼくは村田合同という家具の会社の営業職を辞め、東京・外苑前にあった広告編集プロダクションでエディトリアルデザインのアシスタントをしていた。その年の秋、NHK教育テレビの市民大学講座(現在のNHK人間講座)で、建築史家の鈴木博之氏が講師を務めるプログラムが始まった。タイトルは「空間を造る。現代建築への招待」。このテキストは今も大切に保管してある。ぼくが本格的にデザインや建築に関わる仕事をしたいと思うきっかけになった番組だし、迷った時はこのテキストを開いて、あの頃、自分がどんなことを考えていたのかを思い出すようにしてきた。ウェブで鈴木氏のプロフィールを確認すると、放送当時は41歳。今のぼくより若い。ぼくはこの番組で、モダニズムの理想を知り、それに至る簡単な建築史を学び、建築家の大切な役割を知った。現在のデザインに対する考え方のベースはこの3カ月の放映期間中に築かれたと言っていい。

この番組の中で、「ヴァイセンホフジードルンク」が紹介されたのは、プログラムも後半に差し掛かった頃だと記憶している。ル・コルビュジエやミース・ファン・デア・ローエ、ブルーノ・タウトの名前くらいは知っていたけど、それ以外の建築家は初めて聞く名前がほとんどで、何よりそのモダンな住宅群が1927年(昭和2年)に竣工していたということに、夜食のラーメンを思わず丸呑みするくらい驚いたものだ。モダニズムの理想を一日も早く多くの市民に浸透させるべく、ドイツ工作連盟の「住宅」展覧会が開催されたのが1927年。「ヴァイセンホフジードルンク」はその跡地で、後に建物と土地は市の富裕層に売却され、さらに軍に接収の経て、(その後、市が買い上げ?)現在に至っている。ドイツ国鉄、最高裁、税務署の公務員住宅として、今も普通に使われているのにも驚かされる。ほぼ同時期に建設された、東京・表参道の同潤会青山アパートは既に取り壊されている。1927年の住宅展覧会のポスターを見ると、昔ながらの生活の写真の上に赤で大きなバッテンが付けられていて、その上に「住まい」という単語が書かれてあった。この「住まい」という概念自体が、当時としては新しかったはず。ぼくたちは「住宅」といものが、ずっと昔からあるように思っているけど、純粋に「住むため」だけの建築としての住宅の歴史は100年くらいしかない。かつて一つの建物の中で行われていた労働を外在化させて集約させオフィスと工場になり、娯楽の場は商業施設になり、結果的に純粋に人が「暮らし」を営むだけの場が残り、「住宅」が生まれる(本当は仕事や娯楽を含めて暮らしなんですが)。さらに食はレストランになり、ベッドルームの一機能はラブホテルになって、冷蔵庫はコンビニになり、勉強机はファミレスになって、究極の住まいはぎりぎり一人寝られるベッドと洗面だけの「空っぽ」なカプセルホテルになりそうな勢いだったのが、最近は、過去に外に追いやった労働を再び住まいに取り戻してSOHOという考え方が生まれたり、散り散りになった家族やコミュニティを取り戻そうとしたり、何を引いて何を足したら良いのか、「住宅」はまだ試行錯誤の、土台がぐらぐらした過渡期にある。その最も初期の実験と言えるのが「ヴァイセンホフジードルンク」だ。

「ヴァイセンホフジードルンク」では毎週土・日曜に一般向けのツアーが開催されている。今回はこれに参加したのだが、残念ながら解説はすべてドイツ語。英語で書かれた建築ガイドを片手に10名ほどのツアーに付いて回ることにした。たまたま日本から来ていた建築学科の美大生も一緒だった。敷地内の建物は全部で21棟ある。その中から、ポピュラーな建築家が建て、戦火を免れオリジナルのまま残っている数棟を、ガイドの説明を聞きながら外から見学する約2時間のコース。

ツアーが最初に訪れたのは、オランダの建築家マルト・シュタム Mart Stam と、ドイツの建築家ピーター・ベーレンス Peter Behrens の住宅。マルト・シュタムはカンティレバーの椅子を最初にデザインした建築家としても有名(ブロイヤーと初出を巡り訴訟になり、シュタムがオリジナルと認定)。その椅子はこの住宅のために設計されたものだ。ぼくが今いちばん好きな建築はロッテルダムの「ファン・ネレ工場」で、シュタムはその設計にも参加していた。ホワイトキューブが多い中で鮮やかなブルーのファサードが目を引く。後ろに見えるのがベーレンスの住宅。その後ろの塔はベーレンスとは関係ないのでよろしく(ちなみに、この建物は「フリードリヒ・エベルト・ヴォーンホフ Friedrich-Ebert-Wohnhof」1924-27。設計はカール・ビーア Karl Beer)。

その次は、ハンス・シャロウン Hans Scharounの住宅。曲面ガラスを開口部に使うなど、立方体で構成される他の住宅とは趣がやや違う感じ。シャウロンはベルリンの国立図書館やフィルハーモニーの建築で有名です。

さらにその隣、ル・コルビュジエ Le Corbusier の住宅(2世帯分)は現在修理中。ピロティのスチールが剥き出しですが、これは工事中だからではなく実物もスチール現しです。柱が細いので驚いた。ル・コルビュジエは敷地内にもう1棟、戸建て住宅があります。

追記:工事中だったル・コルビュジエ&ジャンヌレの住宅は2005年11月に改修が終了し、2006年より博物館として一般公開されることになりました。オープンハウスの様子は以下の記事にまとめました。
http://blog.so-net.ne.jp/hashiba-in-stuttgart/2005-12-05

それにしても写真が酷くて残念。見学にいっぱいいっぱいで撮影する余裕がなかった。日を改めてもう一度訪れたいと思います。ル・コルビジュエの次は、J.J.P.アウトJacobus Johannes Pieter Oud の小さな集合住宅(5戸)。個人的にはいちばん気に入りました。アウトはオランダの表現運動デ・スティルの代表的な建築家。ガイドもロッテルダムにある「カフェ・デ・ユニ」のファサードの写真を見せながら説明していた。さらに、「州立美術館シュタッツギャラリー Staatsgalerie」を設計(一部改装)したジェームズ・スターリングが、アウトへのオマージュのようなファサードを、この美術館内に設計している、というような事を言っていた(気がする)。見せられた写真は確かにグラフィカルなファサードにカラフルなオーニングが付いたカフェのような雰囲気だった。ただし、不明。

そして最後はルードヴィヒ・ミース・ファン・デア・ローエ Ludwig Mies van der Rohe の、「ヴァイセンホフジードルンク」で最大の集合住宅(ただし4戸)。やはり見栄えの良さはいちばんでした。


実際は前述の通り、全部で21棟もあり、どれもキラ星のような近代建築家が手掛けた仕事なので、じっくり見ると2時間なんかでは済まない。かなり早足のツアーだった。いずれにしても、20年前にテレビでため息をつきながら見ていた住宅群を、この目で見ることができたのは本当に嬉しい。バスを降りてうろうろしていたら、赤いオープンカーがさっと停まって「ヴァイセンホフジードルンクを探しているんでしょ。向こうですよ」と、品の良い中年女性が教えてくれた。それくらい見学者(アジアからの見学者)が多いということか。

モダン建築は、建築の目的と相容れない個人の表現や具象、装飾を排除してきたのだと思うのだけど、ぼくの個人的な感想を言えば、実際にこれだけの初期モダン建築を一度に見ると、どれも建築家の個性がもりもり溢れ出ていて、なんだかんだ言っても、個人の表現スタイルというのは隠せないのだと思った。モダニズムが純粋だった頃の建築なので、その精神性もまだ純粋に残っていたと思うけど、それでもやはり「私」が滲み出ている感じ。現在のモダン建築は誤解を恐れずに言えば、「装飾なし」という装飾をまとった「建築スタイル」の一つになってしまったと思う。その堕落の兆しが既にこの時代の建物に窺えるというのも皮肉なものだ。とりわけミース・ファン・デア・ローエの建築は、装飾を削ぎ落とすことに、装飾を加える以上の努力が払われたような跡が窺え、これでは本末転倒ではないかと思ったりもした。ざっと見ただけだと、マルト・シュタムとJ.J.P.アウトのオランダ勢は肩の力が抜けていて好感が持てたし、ベーレンスやシャロウンはどこか表現主義的なものを引きずっているようで、それも良く言えば人間くさい面白みが感じられた。

2003年、東京都近代美術館「ヘルマン・ムテジウスとドイツ工作連盟」 展で買ったカタログを、展覧会の帰り道に読んでいたら、当時の近代建築家グループは決して一枚岩だったわけではなく、ル・コルビュジエを中心とするラテン系と、反ル・コルビュジエ派のドイツ、オランダ系があって、反ル・コルビュジエ派グループは1930年にスイス・チューリヒで「ノイビュール」ジードルンクを発表していることを知った。ここにも行ってみたい。

※「ヘルマン・ムテジウスとドイツ工作連盟:ドイツ近代デザインの諸相」 のカタログはこのサイトで購入できます。 http://www.momat.go.jp/publishing.html

ル・コルビュジエらが、合理的な近代建築を目指した背景には、産業革命以後、都市部で急激に増えた人口による19世紀の都市スラム化の解決という、切迫した問題もあった。「働けど働けど……」と啄木が嘆いたように、当時の労働者階級は資本主義社会の矛盾である絶対的貧困に喘いでいて、昔ながらの建物を細かく仕切った当時の「住まい」は、日当たりが悪く、衛生状態の悪化と、過密した劣悪な生活環境は伝染病の病巣にもなっていた。明るく清潔で合理的な近代住宅は、こうした問題解決の手段でもあったわけだ。当時の建築家たちはその使命感でプランを考えていたと言える(と、これは前述の「NHK市民大学講座」で学んだ知識だ)。そのおかげもあって、ぼくたちは今、清潔で合理的な住まいを手に入れたわけだけど、衛生とか平等とか、その他の基本的人権とか、初期のやっかいな問題が一通り解決され、今はさらに複雑な「家庭」問題が浮き彫りにされているのが実情だろう。それを真摯に解決しようと努力している住宅建築家もたくさんいる。もちろんそんな面倒な問題は看過したまま、建築雑誌に取り上げられることを目的にしているかのような建築家もたくさんいる。「建築」という手段が深刻な社会の病を解決するための、大切で貴重なクスリで、多くの市民がそれを求め、方法は違えど誰もがその治療に一途だった時代は、遠い昔のことだ。「建築」にできることは、まだまだたくさんあると思うのだけど、最近の建築家はちょっと思索をさぼり過ぎかお金儲けに頑張り過ぎじゃないかと思う。

輝く都市

輝く都市

  • 作者: ル・コルビュジェ
  • 出版社/メーカー: 鹿島出版会
  • 発売日: 1968/12
  • メディア: 単行本


日本は基本的人権がしっかり守られていると思われがちだが、実は、先進国の中で国連人権委員会の視察が入るなんて日本くらいではないだろか(他の国のことは知らないので、あくまでも私見)。とくに都市部の居住権侵害は著しい。フランスでもドイツでも「住宅」は基本的人権の中の居住権の基本要素として、当然のように国が国民に保障するものだ。「生活」を築くための、必要最低限の住宅を国民に提供することは国の義務という考え方。イギリスもそうだったけどサッチャー時代に一度崩壊して、今、ブレア政権下で再び復活しようとしている。住宅を国民の自助努力で手に入れなければならないG8加盟国は、アメリカと日本くらい。そして努力の末にやっと手に入れた住宅も、失業してローンが払えなくなっただけで、簡単に失われ、あっという間にホームレスになってしまう。ホームレスの問題は経済の問題だと言う経済学者もいるけど、本当は住宅政策、居住権の問題で、人権問題だとぼくは思う。「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と憲法にもあるのに、日本の健康で文化的な最低限度とは野宿のことなのか。好んで野宿をしている人は別だけど。
「人権、人権って、人だけに持って生まれた権利があるわけ? 犬や猫はどうなのよ」と寝言を言う人がいたら、ぼくはこう言いたい。犬が意図的に他の犬の生活を、自分の利益のために侵そうとするだろうか。実際は犬じゃないから分からないけどね。しかし、ぼくたちの暮らしは心ない第三者によって、彼らの利益や怠慢のためにいたずらに侵されることがある。だから一人の尊厳のある人間としての権利を主張し続けなければならないだけ。誰も他人の権利を侵さないモラルと秩序に溢れた社会になれば、自動的に「人権」なんて言葉もなくなるはずだ。住宅は居住権という基本的人権にもっとも深く関わるモノ。機会があれば国連の世界人権憲章を読んでほしい。例えば仕事場と住まいが通勤でくたくたになるくらい離れていることも、仕方ないことではなく、本当は居住権が満たされたいないことが分かる。日本は人権憲章に批准しているのだから、それを遵守するよう努力しなければならないのに、とりわけ住宅問題に関しては約50年間くらい無責任な放置プレイが続いている。逆に民間の努力のほうが目立つくらいだ。日本は、そんな、生活と人権の基本である「住宅」までGNPの数字を稼ぐ産業にしてしまった。市場のシステムに任せてうまくいくものもあるけど、任せてはいけない分野もある。しかし今さら方向転換は無理か。

何だか青臭い話になってしまったけど、「住宅」の果たす役割はそれくらい深くて、守備範囲はそれくらい広いことを知ってほしい。清家清さんが亡くなった時のブログにも書いたけど、ぼくらは、ちゃんとした生活思想を持てず、豊かさの現物支給に思索を止め、その豊かさを失う恐怖とともに、抑圧的自由の中で恐る恐る生きている。100年前にル・コルビュジエが夢見た未来の暮らしは、こんなお粗末なものではなかったと思うよ。モダニズムが精神や思想から切り離されてスタイルになってしまい、最初の目的が何だったのかさえ思い出せないでいる。ぼくらはそんなヒステリックな時代を生きているのだと「ヴァイセンホフジードルンク」からの帰り道に思った。ぼくの場合、答えは「入り口」にあったわけだ(写真がしょぼくて面目ない)。

欧米住宅物語―人は住むためにいかに闘っているか

欧米住宅物語―人は住むためにいかに闘っているか

  • 作者: 早川 和男
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1990/11
  • メディア: 単行本


住宅貧乏物語

住宅貧乏物語

  • 作者: 早川 和男
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1979/03
  • メディア: 新書


nice!(0)  コメント(18)  トラックバック(3) 
共通テーマ:旅行・地域(旧テーマ)

nice! 0

コメント 18

いとうちおり

そうそう、ここ行きました。かれこれ12年くらい前。
デンマーク人建築学生のツアーに訳もわからずくっついていったので、名前も知らず、歴史的価値もわからず…あれは幻だったのだろうか…というくらいだったので、今回読んでやっと謎が解けました!(でも容易に読めませんね、名前が)
もっとちゃんと見ておけばよかった…。
by いとうちおり (2005-05-03 19:29) 

橋場一男

12年前かぁ。ぼくは10年くらい前にシュツットガルトに一週間も滞在していたのに、“ヴァイセンホフジードルンク」がここにあるって、気づかないまま帰国してしまったという、間抜けな過去があります。ホントなら世界遺産に認定されても良いくらいだと思うのですが。見学者はみんな、ル・コルビュジエとミースの建築の前で写真を撮っていた。二大スターなんですね。ミラノの阿部さんは1985年の初ヨーロッパ旅行の際にここを訪れたそうです。やはり建築を勉強した人には素通りできない場所なんですね。
by 橋場一男 (2005-05-04 01:47) 

nori

はじめてコメントします、よろしくお願いします。
ヴァイセンホフジードルンク、18年前一人で参加した卒業旅行ツアーの自由時間にやみくもに自力&たまたまバスに乗り合わせた日本人の方に連れて行ってもらったことを思い出しました。まだデザインて何なのかさっぱりわからないまま雪の中たどり着いたことに満足して、シュツットガルト美術館とヴァイセンホフジードルンクで買った絵葉書だけ手元に残っています。猫に小判だったんだなあ。21世紀になってもすべての家があんなにこざっぱりとなるわけではなかったのだなあ。思い出させていただきありがとうございます。
by nori (2005-05-09 12:25) 

橋場一男

noriさんは建築家なんですか? ぼくが見学した日も予想以上の参加者数で、見学に訪れる人はこれからも何千人といるんでしょうね。人が住んでいるので、中が見学できないのが少々残念でした。みんな普通に暮らしているのでしょうか。少し気になります。
by 橋場一男 (2005-05-10 07:52) 

nori

お返事ありがとうございます。建築見るのが好きなプロダクトデザイナーです。
J.J.P.アウトの黒い細い窓とおっとりした白い壁を覚えている気がします。黒縁の鉄サッシ、日本でフツーのアイテムになってほしいです。
"人が住んでる"というフレーズで福岡のネクサスワールドを思い出しました、見に行ったことないですけど。"住みながら家と共存していく"のは更にプレッシャーがあるのでしょうね、特に建替え激しい日本では。
by nori (2005-05-10 09:34) 

橋場一男

ロッテルダムに「ファンネレ工場 VAN NELE」という、ヴァイセンホフジードルンクとほとんど同じ頃に竣工した工場があるんですが、ぼくがこれまで見た中でいちばん好きな建築なんですけどね。この工場は近年になって増築された(改装?)部分があるんですが、原型に忠実につくっているわりに、20世紀始めに建ったオリジナルより何となく野暮ったい。なぜだろうと思ったら、開口部がアルミサッシなんですよ。昔のはスチールサッシ。スチールだと窓枠をかなり細くできるんですが、アルミはどうしても太くなってしまう。たった数センチの違いだと思うのですが、それだけで、もともとの建築が持っていた緊張をはらんだ繊細さが失われていたわけです。サッシは重要です。
「ネクサスワールド」、なつかしいですね。バブル好景気に、最近は名前を聞かなくなったポストモダンの建築家たちがよってたかって建てた集合住宅でした。レム・クールハースも参加していた。カッコいい建物もあったけど、建築家が真剣に新しい集合住宅の提案をするというよりは、目新しいモノを建てちゃいましたという印象でした。プロデューサーはぼくがどうしても好きになれない磯崎新さんです。言葉にするのも恥ずかしい元祖「デザイナーズマンション」ってやつです。「シーサイドももち」っていうのもありました。あの時代に戻りたい建築家っていっぱいいるんでしょうね。
by 橋場一男 (2005-05-11 04:54) 

nori

ファンネレ工場、googleしてみました。うーこれで太サッシはキツそうですね・・
ロッテルダムですら。
昭和50年代の建売住宅ブームがもたらした"アルミサッシ、塩ビ雨どい、ガードレール"が日本人の景観無神経化を進めてしまったんじゃないかしら。経済&量産効率で犠牲にしたデザインを自分たちの世代でリセットしないとデザイン自体が軽視&誤解されるようになるのでは、と思うこのごろです。(と言ってもどうすればいいんだか、なんですが)
by nori (2005-05-11 09:08) 

麻子

はじめまして。こんにちは。
この夏休みを利用して、ヨーロッパに建築を見に行こうと思っているのですが、初めて1人で旅行に行くので、かなり緊張と不安でいっぱいです。
コルビュジェのツアーなどは向こうにいけばあるのでしょうか?何か情報があれば教えてください。
by 麻子 (2005-08-01 21:34) 

橋場一男

スイスのラショードフォンという時計職人の町が、ル・コルビュジエの生地だったと記憶しています。ここには彼の初期の建築がたくさん残っていて、たぶんそれらを巡るツアーもあるでしょう。ラショードフォンやチューリヒ、ジュネーヴ近郊のル・コルビュジエ作品についてはスイス政府観光局に問い合わせると教えてくれると思います。あとは、各国各都市に点在しているので、建築ガイドブックと地図で訪ねるしかないのでは。事前にウェブサイトなどでチェックすると見学の時間やツアーの案内なども入手できるはずです。エクスナレッジという出版社からル・コルビュジエの全作品を紹介するムックも出ているので一読をお勧めします。地図も詳しく載っていたはずです。シュツットガルトのヴァイセンホフジードルンクは毎週土曜日にツアーがありますが、英語のツアーはほとんどなくて、いつもドイツ語のみです。また、実際に暮らしている人がいるので中まで見学することはできません。
大きな都市にはたいていその町の建築ガイドブック(少々高額ですが)がありますから、それを入手するのも良いと思いますね。現地語のものも多いので小さな辞書も忘れずに。有意義な旅ができると良いですね。不安になるのは仕方ないと思いますが、きっと現地でいろいろな人が力になってくれるはずです。不明なことがあればまた問い合わせてください。ぼくの知っている範囲でお答えします。
by 橋場一男 (2005-08-03 08:58) 

麻子

ありがとうございます。調べてみます!!
あまり時間もお金もない為、コルビュジェ、ピーターズントーにマリオボッタなどの作品がたくさんある、スイスだけに絞りました。
しかし、やっぱり言葉が一番不安なんですよね。英語が喋れるなら、まだマシなのでしょうが、それすら・・・・
まあ、どうにかなるか!
by 麻子 (2005-08-30 08:35) 

タカハシ・マサアキ

偶然、このブログに行き当たりました。
しかも、すごいアクセス数!
お久しぶりです。
いつか、橋場さんのドイツ便りをどこかに連載して
もらうおうと思っていましたが、すでにしっかりと
ご自身で情報発信をされていましたね。
ドイツといえば、アウシュビッツ60周年。
やはり強制収容所は見ておくことは意味が
あるかと思います。
不肖、わたしも、壁があったころのベルリン滞在中、
語学の教師が企画した、東独日帰り旅行につれられ、
バウハウスにでも行けるのかと期待してついていき、
着いた所がダッハウの収容所でした。
そのあまりにリアルな保存ぶりに驚かされました。
そして、帰りに寄ったのが、ワイマールのゲーテの家。
バッハやベートーヴェンをうみ、重厚な文学や哲学をうみ、
バウハウスをうんだ、ドイツに、こういう歴史も
あったという事実は、多くのことを考えさせてくれます。
アウシュビッツ以降の文化、という視点も大切ではないか
と思う次第です。映画「ヒトラー(現代は「破滅」)」も
日本で公開され、かなり観客を集めているようです。
by タカハシ・マサアキ (2005-08-31 14:17) 

橋場一男

麻子さん、たぶんまったく英語を知らない訳ではないと思うので、意外に大丈夫だと思いますよ。スイスは楽しそうですね。各都市の建築ガイドも超充実しています。話題のヘルツォーク&ムロンの建築もたくさんあるし、ヴィトラの建築や、モダン建築じゃないけどシュタイナー建築群も面白そうです。楽しんできてください。ちなみに国境を越えるとシュツットガルトもすぐです。ついでがあれば立ち寄ってください。

タカハシさん、ご無沙汰しています。
先日、またベルリンに行ってきましたよ。『Q!」という名前の今風のホテルに宿泊しました。ピーター・アイゼンマンの記念碑を見に行こうと思っていたのですが、ぼんやりと時間を過ごしてしまい、結局、街をふらふら散歩して終わってしまいました。シュツットガルトもそうですが、戦争で一部壊れてしまった建築物を、修復しないで、あえてそのまま残しているモノが多いですよね。現代美術でも傷口剥き出しの作品が多いし。なかなか覚悟がいることだと思われます。それから北ドイツと南ドイツは生活文化も都市文化もずいぶん違うように思いました。タカハシさんはベルリンにいたんですか?
by 橋場一男 (2005-09-05 10:55) 

yoshi

はじめまして。
居住権=基本的人権、全くその通りです。
他の人にも知ってほしいので、紹介させていただきたいのですが。
http://red.ap.teacup.com/solidarite/103.html
よろしくお願いします。
by yoshi (2005-11-28 01:11) 

橋場一男

yoshiさん、コメントありがとうございます。またそちらのサイトでこの記事を紹介していただき恐縮です。日本人は特に、居住権についての意識が希薄だと思います。ヨーロッパは基本的に住居は国が国民に保障するもので、生活の基盤は国によって保障されているわけです。日本やアメリカはそれを自助努力で手に入れなければならない。アメリカは選択の幅が広いようですが、日本、特に東京では生活の基盤を築くだけで、みんなボロボロになっていて、その後の「暮らし」をどうこうする余力がないのが現状でしょう。社会教育の一つでもあるメディアの責任も大きいと思います。
by 橋場一男 (2005-11-29 09:19) 

yoshi

橋場さん、どうもありがとうございました。
いや、本当にその通りですね。僕もフランスに5年住んで(学生としてですが)感じましたが、色々問題はあっても、日本とは比べ物にならない制度(予算)がありますね。
日々「何とか生きる」ために働くという、「非人間的な」生活を日本人はいつまで続けなければならないのでしょうか。
先日、日本のサラリーマンの有給取得率が最低だったという報道がありましたが、この10年くらい「時間の使い方」が見直されてきた感もあったのに、「働かざる者遊ぶべからず」とも言うべき「新自由主義的」バックラッシュがあるんじゃないか、とおそれています。。。
by yoshi (2005-11-29 12:35) 

橋場一男

人が一日にちゃんと働くことができる時間は3時間が限界という説を読んだことがあります。日本の経済は無理(=サービス残業)と浪費を前庭に成り立っているという感じが否めません。この先、方向転換はとうぶん無理でしょうね。地方都市は東京よりは少しは緩やかなようなので、そのあたりが活路になるでしょうか。
by 橋場一男 (2005-11-30 22:43) 

yoshi

生産力が上がっているのに、なぜ労働時間が短縮されないか(もちろん資本主義誕生のころと比べれば格段の進歩かもしれませんが)?
脱東京・脱都会を目指したいところですが。。。
by yoshi (2005-12-03 17:27) 

橋場一男

これも東京造形大学の地主先生の受け売りなのですが、かつては12時間とか10時間労働だったみたいです。それが時代とともに少なくなり、現在の8時間になっている。つまり8時間労働って、何か合理的な根拠があって8時間なのではなくて、少しずつ短縮されてきた結果なんですね。まだ過渡期ということも考えられる。でも1日8時間労働なんていう人は一部の公務員だけで、ほとんどの人は10時間以上働いているので、結局は未だに産業革命の頃と同じというわけです。個人的にはオランダの労働環境ポルダーモデルが理想です。週に3日、会社のために働いて、残りは自分の仕事とか、ボランティアとか、畑仕事とか(育児とか)。
by 橋場一男 (2005-12-03 21:52) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 3